「真理の御霊」

最後の審判(次元上昇)を超えるために1999年からひふみともこさんに下ろされている神示をお伝えします

神から人へ ◎自我・個性について◎

 

神から人へ。人から神へ。

問いと答えの繰り返し。さにて深めよ、己の信を。

さにて本日、何を問うらん。

 


(自我について、或いは、個、個性について)

人には人に、それぞれのみ役もあらば、個性もあり。

なれど同じは、人の全ては、神の子なれば、皆等しく、

神に仕えて、役立つべけれ。

神に背きて、己の我執(がしゅう)を、個性と誤る

愚かな考え、誤解多かるこの日頃。

勝手の独断、偏見にて、少しも変えぬ己のあやまち。

ただに己の我欲を尊重、人の諌め (いさめ)耳傾けず、

ただひたすらに己第一。好きか嫌いか、その二つのみ。

中間なくて、ただ浅薄(せんぱく)な、感情、感覚、

直感ばかり。ことばを持ちても、そも無駄の如。

ただに頼るが己の感性。個性と誇る、それさえも、

神には愚かな身勝手、傲慢(ごうまん)。

くだらぬ差異のみ個性と威張り、示して強調、

思考の低さよ。

個性というも、我というも、今のこの世に違いの

なければ、かつての自我なる光も失せて、迷妄、妄執、

深めゆくのみ。

 

 

神は人の一 人一人に、個性を与えて備わせて、

それぞれ個性を活かし得るよう、み役も霊行、

能力も、それに見合いしものを与えき。

なれば人は己の個性を、正しく見極め見定めて、

己に適い(かない)し霊行を、み役を果たしてこそ

悔いなかれ。

 

 

己の我執に曇りし目にて、己の本質、見誤らば、

かえりて苦しみ悩みも増えて、要らぬ困難増しゆく

ばかり。真の素直さ持つ者ならば、人は謙虚に

己を見つめて、課せられし行を素直に歓ぶ。

我執の強く、傲慢なるは、必ず己を見失い、

さらに深めん、迷妄を。

自我なるものも、本来は、正しく使わば益なるを。

今の浅はか、愚妹(ぐまい)の衆は、他人押しのけ、

押し付ける、卑しき人品、性癖の謂(い)い。

 

 

真の個性は人をも包み、人にも譲る(ゆずる)が

真の個性。

個性強きは、人を助けて、さらに高めゆくなれば、

人を苦しめ 不快に落とすは、ただにあさましき、

卑しき性分。

人を許して、人を救い、人歓ばすが、真の個性。

神の授けし天性なれば、そを伸ばしゆけ。高めゆけ。

人の迷惑省みぬ、己本位の蒙昧(もうまい)は、

必ず正され、滅び潰(つい)えん。

真の個性は柔軟なもの。たとえ打たれて

叩かれようとも、耐えて忍ぶが個性なり。

人の非難や糾弾に、反発反撃、逆上するは、

ただの臆病、卑怯の性(さが)なり。

揺るがぬ信念、自信を基礎に、穏やかになるが

真の個性。吠えて猛るは、偽り、虚勢。

すぐにも崩れて馬脚現す。

穏やかにして、静かに醒めし、己見つめる目を

養えよ。

血迷い雲れる目には映らぬ。神の神意も、恩愛も。

己の低き度量に 測るは、低き損得、計算のみなれ。

哀れな世界に住める者ども、救い難きは承知の上

にて、尚も救えよ、望みをかけて。

無駄に終わるも徒労にあらず。神の本懐、手伝い

なれば。さにて本日、個性と自我と、多少の戒め

含めて伝えき。

 

 

 

神の声を伝える人
ひふみともこさん著書 「続神誥記」より抜粋
ひふみともこさんHP http://wa-hifumi.info/

大神神社 狭井神社 三輪山の巫女「真理の御霊」  
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