「真理の御霊」

最後の審判(次元上昇)を超えるために1999年からひふみともこさんに下ろされている神示をお伝えします

神から人へ◎霊、霊魂、魂の違いについて◎

 

(霊、霊魂、魂の違いについてお教え下さい)

三つのものは同じもの。もともと一つの同じものなり。

人に宿りてこの世に下りれば、即ちそれは、魂なり。

命は肉体動かす力。 肉体滅びし後には命は亡くなり、

消えゆかん。

霊魂、それは、肉体なくしこの世をさまよう間の名なり。

霊魂なるは、肉体持たぬ、意思のみ残す波動なり。

霊なるものは、さらに高次の、この世の次元を超えし

世界の、意思ある波動、エネルギー。

人を導くものもあり。人にとりつくものもあらん。

なれど、現世の次元を超えし、四次元世界を生きるなり。

まだまだ人に近く、人の世界を見守りて、導く者も

この世界なり。

人の世界の現象事象の、多くは霊にて導かれなん。

なれば、人は身近な霊と、共にあるものなり。

なれば人の交信するも、霊を通して取り次がれなん。

神との次元はさらに遠く、肉体あるは、不可能なり。

間を介す霊魂は、霊の教えをさらに低き次元に

落として人に伝えん。なれど、それらは五感に分からず、

意識の奥に有りし、受信機通じて動かすものなり。

なれば、人の無意識なるが、最も神に近づき易き、

潜在意識の奥にて眠る、神との入口、接点なり。

なれど人は気づかぬままに、他なる教えに操られ、

己を守る守護神離れ、別なる霊に従いて、

迷えるも道に落ちゆくなり。

なれば人は心せよ。無意識にある汚れ、曇りを。

気づかねばこそ、危うき道なり。気づかず落ちる

迷妄なり。神は教えを満遍なく、四方に放ちて、

そをば受け取る魂求めん。肉体持ちし魂は、

肉体のみに頼りしあまり、己の御魂の奥にある、

尊き器を汚れさせ、曇らせしままに、死を迎えん。

神の嘆きもそのことなり。神の御魂を分け与え、

御魂を磨きて霊魂となり、さらに高めて霊として、

この世の魂、霊魂を、導く霊を育てたし。

 

 

(神様から分け与えられたときのものは、魂でしょうか。

また霊というのは魂の昇華したのちの、高次元の世界に

あるときの呼び名と考えてよろしいでしょうか。)

さにて正しき解釈ならん。全ては同じものなれど、次元の

高さ、昇華の程度、さなる違いを表すなり。

なれど、一度昇華すれども、絶えざる精進努力を要す。

霊魂なるは中間なれど、現世来世行き来して、三次の

世界に留まるものなり。肉体もつか持たざるか

それのみ異なる違いなり。

 


(人間と動植物の魂の違いは何でしょうか。動植物の

霊も昇華し、霊魂、霊となるのでしょうか。)

人間の持つ魂は、神から直接分け与えられしもの。

動植物の魂は、波動の異なる次元のものにて、

現世のみに存在するもの。なれば、それらの魂は、

進化も昇華もせぬものならん。神の意図を外れず、

神の意思に忠実に、神の慈愛を表すのみ。

子孫を作り、生を伝え、後の世界に変わらず残す、

そのみがこの世の務めなり。

なれば争う必要もなく、神への感謝に満ち溢れ、

喜びのみの生ならん。生まれしときのと同じ命を、

繰り返し生む、自然の営み、自然の連鎖に

委ねることこそ、彼らに課せられし使命なり。

そを全うして、再び別の命とならん。

多くは同じ種族なり。彼らに欲も望みも無し。

与えられるもの、そのみで足りて、何の不足も

不満もなし。なれば、多くの動植物は同じ生を

繰り返すなり。

 



(異なる種族になることもあるのですか。)

子孫を残せぬ異変ありて、種の滅びなば、異なる

種族になることもあらん。最も憂い、悲しむべきなり。

神の慈愛を滅ぼすは。かかる事態の多くの元は、

人の過ち、愚かさなり。自然の連鎖を壊すが人間なり。

神の慈愛を見失い、己の欲望我欲にくらみ、自然を

荒らして省みもせず。次から次へとむさぼりて、

全てを絶やすが人間ならん。

なれば人は己の御魂を磨き浄めて、目を覚ますべし。

己の犯せし過ちの、積もり溜まりし今の世を見よ。

 

 

今の世界は末世ならん 地球の限界、猶予は適わず

今この時が最期の今なり 最期の前に目を覚ますべし

曇りし御魂に光を当てよ。己の務めを思い出すべし。

神から賜り、この世にある意味、命の尊さ、奇しき定めを、

心新たに思い返せよ。すべてが必然、神の意のまま。

なれど感謝を忘れるなかれよ。

この世に生まれて命永らえ不自由なきこそ奇跡なり。

平和も富みも、健康も、神の許しあればこそなり。

一つも己の意思ならず。能力ならず。当然ならず。

謙虚に喜びひたむきに、神への祈りを忘れるなかれ。

 

 

人の力の弱さ儚さ、自ら犯せし罪さえも、償い得ぬが

人間ならん。さても無力の人間なれど、神への祈りを

祈りし時には、神の力が働かん。

神の光が全てを救わん。病も汚れも浄めゆかん。

祈りを欠かさず、波動を広げよ。必ず波動は広がらん。

目には見え得ず、耳には聞こえぬ。なれど必ず広がり

ゆかん。ことばに出すも、想念のみも、祈りの波動は

込められて、神に届きて広がらん。目に見え変わるは

後のこと。

今は焦らず、ことを急がず、神を信じて祈ることのみ。

この世を救う思いを高め、信じる気持ちを強めゆくこと。

 

 

あせり急いても何も変わらず。泰然として今を行き、

悠然として未来を見据えよ。神の慈愛を信じきり、

神の力に任せ切ること。己に何もなせぬを悟りて、

無力の己を受け入れよ。

神の壮大雄大なる、宇宙全ての経綸は

太古の昔に定められ、そを変え得るは、何物も無し。

現世のみしか目に入らぬ、卑小な命に及びもつかぬ。

人の作りし学問理論は、神を否定す根源ならん。

さなる学問理論にて、宇宙の真理は何も分からず。

つまらぬ詮索、曲解ばかり。

真理を正しく伝えるための、宗教さえも堕落せり。

さなる末世の今なればこそ、焦らぬ心を整えよ。

焦りをあおり、駆り立てる、邪霊の手先となるなかれ。

あわてる要の露程もなし。神の仕組みに乱れ無し。

瞬時の進みも遅れもなく、時を刻みてはかどりゆかん。

神に任せてただひたすらに、己の分に合うことをなせ。

一人一人に相応の、務めを課して、見守るなれば。

さにて本日、問いは広がり際限なし。

多くの教え、変わらぬ教えに充溢せり。

なればよくよく読み返し、神のご意図を読み取れよ。

知識は無駄なり。無用なり。生きる糧として活かして

こそ、教えに意味あり。力あり。よく汲み取りて、

生に活かし、祈りに写し、ことばに変えよ。

その後行い、人にも広げよ。

祈りのこもりし行いならば、見えぬ力が発動せん。

 

 

 

神の声を伝える人
ひふみともこさん著書 「続神誥記」より抜粋
ひふみともこさんHP http://wa-hifumi.info/

 

大神神社 狭井神社 三輪山の巫女「真理の御霊」  
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