「真理の御霊」

最後の審判(次元上昇)を超えるために1999年からひふみともこさんに下ろされている神示をお伝えします

神から人へ ◎正義について◎

 

 

(人が正しいと思うことが、神様のお邪魔になることが

あるそうですが、どのように知ることができるのでしょうか

 一つ、人の正義とは、そもそも神の尺度基準と、

多くが外れ、反するものなり。

なれど人には法律も、罰も必要、裁きも必要。

なぜならば、人の心が神から離れ、絶対真理を失いぬれば。

神の基準を正しく守り、基準に照らして行わば、

この世に起こる多くの犯罪、事件もなくなり、消滅しなん。

なれど今の世、地上には、人の狂いし基準のみ。

なればそこから間違い生まれ、あやまち罪科、そも必定。

神の基準を知りたくば、先ずは己の奥におわする
神に目覚めよ。

導き受けよ。さにても難し。解決ならず。

己の神に目覚ねばこそ、神の基準も失いなんを。

神の基準を問うならば、先ずは最も易しき方は、

神との波長を合わすこと。

神との祈りを唱和させ、己の魂、浄めることなり。

 

 

なれど適わず。救われず。神の基準を伝えども、

今のこの世に、無駄に滅びん。神の基準を知ることは、

先ずは己の我執を離れ、我欲をなくし、浄化すること。

素直な魂、汚れぬ目にこそ神の基準は示されん。

なれどこの世の人知の正義、己の富や利益のみを、

守るためなり。広げるためなり。

神の望まる正義とは、他人の幸せ増すか否か。

神の手伝い能うか否か。人の心の浄化昇華に、適うか否か、

それのみなれば。なれば人知の正義といえども、

神の救いの手伝いに、適うものなら、喜ばれなん。

なれど人知の正義の多くは、だだに己の満足のみにて、

己の心を高めるになく、相手の不幸を喜ぶものなり。

人のこの世の修行を忘れ、人知の基準に正しきことのみ、

行い死なば、昇華(しょうげ)もならず。

最も尊き正義とは、己の大事な物さえも、

人に与えて、救わんとして、何も求めぬ無欲の行い。

人への慈善の寄付も、そが肝心。人の幸せ望むものなら、

必ず心は相手に通じ、相手の心も昇華せん。

互いが昇華し救われなん。さなる寄付なら、許されなん。

相手の気付きも、悟りも起こらん。互いの感謝を高めゆけよ。

なれば神の御心に適う正義と高まらん。

神の心に適うか否か。そは一つなり。照らす基準は。

復讐心や、怨念は、最も嫌わる正義なり。

偽善の正義は、正義にあらず。

相手の不幸を望む処罰も、神の悲しむ正義の一つ。

たとえ悪人、加害者とても、心を高める救いを与えよ。

さにて相手の改悛導き、心の昇華を助けてやれよ。

そもまた一つの修行ならずや。周囲の昇華もさらに進まん。

そが望みなり。願いなり。 

一人の罪人救える者は、必ず百人、千人も救いてゆかん。

助けてゆかん。さなる大きな貢献を、神に捧げて、努力せよ。

罪人なれど、憎むなよ。己の昇華の導きならん。

神の示しし基準に沿いて、人を導き、正義をなせよ。

さにて本日、正義のことを、神の基準を示したり。

人知の正義に曇りし目には、なかなか見えぬ、基準ならん。

精進努力。心の浄化を。さにて

 

 

 

神の声を伝える人
ひふみともこさん著書 「神誥記」より抜粋
ひふ
みともこさんHP http://wa-hifumi.info/ 

大神神社 狭井神社 三輪山の巫女「真理の御霊」  
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