「真理の御霊」

最後の審判(次元上昇)を超えるために1999年からひふみともこさんに下ろされている神示をお伝えします

神から人へ◎人を愛すること・執着してはいけない◎

 

(人を愛することについて)

欲望、本能、人の根源。

そこに本来 我はなけれども、自己と他者との違いを知りて、 

己の優越、選良意識、そが芽生えぬる時、我は強まらん。 

人は本来一人で生きる、孤独の生にあらざれば、 

他との調和を重んじて、共存共栄 願うものなり。

なればさらにも浄めてゆかば、必ず人は神に近づき、

慈愛の心、寛容の愛、そに目覚めゆくもの、気付くもの。 

我の曇りにて、気付かざれど、人とは神の愛を持ち、

いつでも人を愛せるものなり。 なれば人を愛するときに、

我の混じりぬるは、改むべし。 己の愛に我の混じりなば、

さなる愛は汚れとなりて、相手も汚し、己も貶(おとし)む。

 

 

 

人を愛すは難しきこと。正しく愛し、正しく尽くせよ。

あやまち我欲に迷いなば、かえりて双方、汚れを積まん。

相手の幸せ願うはよからん。なれど幸せ、そをあやまつな。

相手に金銭物質与え、物にて顕す愛は汚れよ。

真の愛とは、相手の心、魂満たす、それのみなれば。

なれば最も明らかな愛は、ことばによりて伝えらるべし。 

愛の深さは音にも表れ、目にも表れ、顔にも見えん。

なれば饒舌、巧言要らぬ、ただに心と心の還流、

そにて充分 伝わりゆかん。

 

 

 

我とは本来、己への愛。自己のみよかれの心ならずや。

我の入る愛とは、己のためなり。 相手の真の幸せよりも、

己の満足、自己中心。相手の迷惑省みず、己の偏愛、強制す。

全ては我のなす仕業なり。なれば人は、人を愛すも、

安易に考え、あやまつなかれ。 人を愛すは、神の行い。

神の行いなせる者のみ、真の愛を顕せるもの。神の愛とは

公平なり。差別もなくば、偏(かたよ)りもなし。

全ての生を等しく愛し、全ての生の救済願う。

 

 

 


なれど愛にも差異はあり。最も深く強き愛。

最も大きく寛き愛。最も高く熱き愛。

愛に違いはなけれども、顕す愛に、違いあり。

人それぞれに見合う愛、神は等しく分けて与えり。

なれば人はそにならい、神の愛にも近づくべけれ。

人は人とし、人の愛を、正しく顕し、行うがよし。 

家族の愛もまた然り。親子の愛に兄弟の愛。

子弟の愛に恋人の愛。愛にも幾つか違いはあらん。

なれどいずれの愛にても、独善の愛に真実はなし。 

相手に押しつけ、嫌われて、悲惨な終わりを迎えなん。

独善の愛は厳に戒め、宇宙の心で人を愛せよ。  

全ては神の子。汚れぬ魂。その本来の愛に目覚めよ。

幾多の生に出会うも縁なり。その縁を守り、広げていけよ。 

 

 

 

一人一人の努力と協力。そのみが地球を。宇宙を救わん。

今、人に神は全てを預けたり。

人の最期の献身と努力の姿を、神に示せよ。 

必ず宇宙は一人を守り、一人は宇宙を救いてゆかん。

一人一人が神と結べよ。一人が全てを救うにあらず。

一人が一人を救うなり。一人一人の帰依の姿が、神の光を

強め高めん。なれば一人の努力の姿は、千にも万にも価せん。 

一人をあなどり、軽んずなかれ。一人の重みは人には量れず。

人の尺度や基準に量れぬ、神の世界の尺度を知れよ。 

 

 

 

そも適わずば、神を信じよ。ただひたすらに、愚かに信じよ。 

無垢なる心の信仰こそが、神にも通じ、人をも変えん。

なれば愛とて同じこと。 我にて愛する愛は慎み、

一途に祈れよ、人の幸せ。陰にて祈る心こそ、尊き愛の始めなり。

なれば相手に露(あらわ)に示し、押しつける愛は、

我のみの偽善。よく戒(いまし)めて、高めてゆけよ。 

神の愛とは見返りも、感謝も求めぬ、ひたすらの帰依。

さにて相手が喜ぶ姿を、見守ることにて、満たされなん。

さなる愛こそ、抱きて生きよ。儚く短き生ならん。 

神の愛にも昇華させ、あの世に帰らば、神は祝わん。

 

   

 

(我を取る、執着を取ることについて)

我とは己の独占欲、己一人がよかれと願う、おのが中心の

現れなれば、先ずは己の幸せのみの、願望欲望、考え捨てよ。

されどそもまた難しく、よきときばかりが続くにあらず。 

苦労、困難、危機のときに、いかに他人を優先さすか。

最も厳しき状況なるらん。人には生まれて死ぬまでに、

なさねばならぬ霊行のあり。人の多くは、そにも気付かず、

目先の利益や富のみを、人生最大の目的となす。

さなる心に精進難し。我を取る行は、さらにも難し。

 

 

 

なれど一度、己の霊行、生賜りし意味を悟らば、

霊行以外の何事も、行うは易く、困難あらず。

人の努力と辛抱あらば、およそのことは、全て叶わん。

なれど霊行、それのみは、人の一人の力には、

行うは難く、実現し難し。 なれば、神にも、他人にも、

力を仰ぎて、己も捧げて、ようやく一つの霊行となる。

さなる霊行積み重ぬれば、必ず自ずと我は取れゆかん。  

なればこそ、今ある人の大方は、霊行さえも知らざる

不幸よ。知りてもなさぬが、人の常。

人の弱さを、神にも十二分に、知りておられば無理を求めず、

人それぞれに見合いし行を、段階つけて与えらる。

なれば先ずは、霊行を、生ある意味を知るが始めよ。  

この書記読みし者ならば、必ず神とのご縁も深く、

恐るることなく、行を積むべし。

無償の精進、それのみにて、我も執着も、離れてゆきなん。

執着、我欲は、本来なければ、なきと思いしその瞬間に、

消えて離るる、煙の如し。執着取らん、我を無くさん。

 思えば思う、それほどに、かえりて強まり、離れずなるなり。

 

 

 

心の自由を、思い描けよ。心を遊ばせ、空となれ。

恐れず求めず、惜しまず止まらず。ただ自らを自然摂理と、

一体となりて、生きるがよけれ。 己の存在すら忘れ、

今ある宇宙と一つとなりて、己の内なる宇宙に帰れよ。

宇宙の魂と、己の魂とは、一つの魂と気付くべし。

さにて己の内なる宇宙は、目覚めて時から解放されん。

無限の時に身を任せ、大なる宇宙と共に生きなん。

さなる時こそ、我は既になく、執着一つも残らずなりなん。

先ずは始めに、霊行を。その後求めよ、無我の境地を。

いずれも一つの精進要す。 迷い、悩みもあるらめど、

過ぎたる苦悩は、執着なれば、求めぬ心を育みてみよ。

まだまだあれど、方法は、自ら探すも修行となるらん。

さなる努力と曲折を、神は愛しく見守るらん。 心安けく、

おおらかに、神の波長を甦らせよ。 さにて、終わらん。

後にも問えよ。人のため。人の苦しみ迷いを救わん。 

  

 

 

 

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