「真理の御霊」

最後の審判(次元上昇)を超えるために1999年からひふみともこさんに下ろされている神示をお伝えします

神から人へ ◎人に望む優しさ・神の慈愛について◎

 

神から人へ。人から神へ。教えて残し、伝えて広げ、ただ忠実に

働けよ。己の誠心、忠心見せよ。さにて使われ、仕えてゆけよ。

さにて本日何を知りたき。

 


(神様は、人の病気や不幸に同情することはよくない、禊ぎの

お邪魔になるとおっしゃいましたが、人への優しさとは、神様への

ご縁を結ぶような声をかけることだけで、あとは何もしないのが

よいのでしょうか)

さにあらず。神の望まる優しさとは、人の不幸を己も苦しみ、共に

悲しみ、分け合うことなり。なれば見守り、何もせで、見過ごすこと

にはあらず。苦しみ悩む人の苦悩を、苦痛を共に苦しみて、さらに

高めよ、感謝と祈りを。ただ遠くから、何も感じず、我関せずと、

見離すになし。そばにて付き添い、いたわりて、その苦しみを等しく

感じ、そを伝えつつ、慰めてやれ。さにて人を恨むことなく、神への

感謝を説いてやるべし。神の手伝い、そも然り。なれば、邪魔せず

手伝うことは、神への存在、身近に気付かせ、不幸の意味を教え説く事。

なれば、過ち、誤るなかれよ。人の不幸を遠巻きに、己の幸を喜ぶに

なく、人の苦痛や、苦悩病苦を、己の鏡と受け止めて、己の苦痛を

肩代わりする、尊き禊(みそ)ぎと感謝するべし。神の喜ぶ優しさは、

人の心を素直に感じ、共に悲しみ、共に苦しみ、共に喜ぶ豊かな心。 

 

 

己一人の幸福喜び、人の不幸に巻き込まれぬよう、災い己に降りかからぬ

よう、己の安泰、そのみを念じる、さなる貧しい心はなくせよ。豊かさ、

優しさ養いてゆけ。そも修行なり。心行なり。さなる心の潤いなくば、

神のお役は果たすあたわず。空の念仏、お題目、魂入らぬ仏像ならずや。

なれば忘れず、心せよ。人の優しさ、神の手伝い、そはゆとりある心を

要す。人への誠の同情なくば、人を神へと結ぶは適わず。人と神との

ご縁を結ぶは、人の心を衷心(ちゅうしん)から、神に向けゆく難しき

業(わざ)。ただおざなりの慰めや、励ましのみなら、意味もなし。

さなる安易な行いならば、神も任せず、期待せず。よくよく噛み締め、

心に刻めよ。神の手伝い、尊きみ役。神への真の帰依なくば、神の手伝い

果たし得ず。人の禊ぎは己の禊ぎ。人の痛みを感ずればこそ、真の救いの

有り難さ知る。人の不幸を遠目に眺め、不幸を憐れむ傲慢(ごうまん)は、

諌め正して、謙虚なるべし。 

 

 

禊ぎのなきを喜びて、神の恵みと誤るなかれ。真の恵み、慈愛とは、

困難不幸のなきにはあらず。己の精進努力の機会を、与える神の意図を

読むべし。なれば、本日、神の慈愛と優しさを教えたり。これから後も

忘れるなかれよ。人への優しさ、人の救いを。我がことの如、共にせよ。

人の苦しみ、悲しみを。人の痛みを理解すること。それの欠けたる行いは、

傲慢、驕(おご)りに他ならず。神の優しさ、厳しさは、元は一つの愛

なれば、人も神に近づけよ。易き同情、憐憫(れんびん)は、人間心の

慢心なり。誠の愛を手に入れよ。心養う行なれば、人の最も神に近き、

尊き高みに近づく一歩。低き優しさ、施(ほどこ)し要らぬ。己の不要の

物を与えど、誠の行とは高まり得ぬもの。己の心の奥底からの、

神への祈りを捧げよ、人よ。日々に祈りて叶わぬは、まだまだ足らぬ証

ならずや。祈りも行の一つなり。神に祈りを届けよ、人よ。神の心に適う

祈りは、必ず人をも動かしゆかん。神への帰依は、人への帰依なり。

人への献身、そもまた同じ。神に捧げる心のあらば、人への奉仕も

虚(うつ)ろにあらず。神に捧げる心のあらば、必ず人への救いも適わん。

人は神なり。神の子なれば。神と人とを分けるなかれよ。人に仕える心も

同じ。神の前にて素直とならば、人への優しさ自ずと芽生えん。さにて

本日懇切に、教えを示し、明らかにせり。この後も問いを深めてゆけよ。

御霊の昇華を、自ら進めよ。さにて。

 




 

神の声を伝える人
ひふみともこさん著書 「続神誥記」より抜粋
ひふみともこさんHP http://hifumitomoko.cocolog-nifty.com/blog/