「真理の御霊」

最後の審判(次元上昇)を超えるために1999年からひふみともこさんに下ろされている神示をお伝えします

神から人へ「神経綸 最後の審判」

 

神から人へ。

神は、人と、人と共にある様々なこと、もの、現象、

天命、人一人一人の行うべきみ役、全てを仕組まれ、

ご計画に沿って、神仕組み、神経綸をお勧めに

なられてこし。

今、最後のお仕組みとして残りしは、この世の立替え、

立て直しのみなり。

その神仕組みが、ようやく成就を迎えつつある。

そは、神がこの世を創られ、この世に神の御心を映す

地上の神の国を創らんがため、この世界の初めから

定められしことなり。 

 

 


この世が次第に汚れ、崩れ、神のご意図から離れ

ゆくも、神はこの世の初めから、予測もされ、

そのようなご計画でありしといえよう。

人が一度は汚れ、曇り、我の奴隷となり、神を忘れるる。

そのことすら、神は初めからご存知のことにありし。

人には、この世が神のご意図から外れゆくことを、

憂うる者もあるだろう。

行く末を案じて、己の力をもちて、この世を作り直そう、

作り変えよう、そう意図する者もあるだろう。

なれど、神のお仕組みが働く以上、それら人間の業、

人間の知恵、人間の技術、能力、全て限界あり。

出来ることの範囲は極めて狭く、ものの数にも入らぬ

行いなり。 

 

 

今、人に求めらるるは、神のご存在を知り、

神に全てを委ねる心、神に全てをお任せする心、

神に一途に帰依せんとする、青白き魂への浄化なり。 

 

 


今、神に降ろされし魂、すなわち最後の時に臨みて、

最後の仕上げをするにあたり、神のお役目に立つために

降ろされし魂、神のお仕組みの最後の手伝いをせんと

命ぜられし魂が、各々のみ役を実行に移し始めし。

神のお仕組みによりて、ある者は書を、ある者は光を、

ある者は声を、己の能力・才能・天分に応じて、

人に広め、知らしめ、気づきを与え、悟りを得させ、

心・魂の浄化を手伝いつつあるなり。

 

  

神は現象をもってお伝えになられる。

神は罰をお与えになることはなし。全て必然の結果

なれば、起こりし不幸は、己の行いのどこかに、

必ず誤りあり。

その必然の結果を、現象によりお与えになるのである。

この世で起こる一切は、己の行、行いの必然の結果

なれば、良きことは、良き心の、良き行いの、

良き魂の結果なり。

また、悪しきことは、悪しき心、悪しき行い、

悪しき魂の結果なることを思い、常に己を省みることを

忘るるなかれよ。

 

  

このときに当たりて、最後まで神を信じず、

我を張り、己に囚われしままなれば、それは魂の

永遠の消滅となるのみ。

積み来たりし、多くの罪、汚れ、魂の曇り、濁り、

全て、一度に浄化させよ。遅れし者も、まだ間に

合うべし。

 

  

最後に伝えられる、神のご意志、ご意図、それは、

今初めて人に伝えられることではなく、

何千年も前から、人々に伝えられしことなり。

いかなる宗教であろうと、この世の終わりに神が現れ、

この世を一度は壊滅させ、そして残されし者を使い

この世を再び神の国に復活させるであろうことを。

宗教、流派、信条、信念、細かい違いはあろうとも、

皆同じ内容を伝えしものなり。

なれば宗教の違いによらず、全て同じことを知り、

めざし、己を磨くことを、魂を浄め、高めることを

行わせられしものなり。

 

  

人の幸せとは現世のみに関わるものではなし。

永遠の時の流れの中で、各々の魂に応じて決まりゆく

ものなり。

今、富に満たされ、金銭物質に囲まれ、何不自由なく

贅沢を満喫しようとも、あの世に戻らば、何も持ちて

ゆけぬなり。

あの世に持ちて帰らるるは魂一つなり。

それゆえ人は、出来る限り、この世での行を積み、

魂を磨き、浄め、高めねばならぬものなり。

心を常に中庸に保ち、安定を心がけ、自然に落ち着く

境地であること。

難しけれど魂を鍛え、心を鍛え、己を強く律する

鍛錬を行いゆかば、自ずと到達せん。

 

 

 


神の声を伝える人
ひふみともこ 著書 「神から人へ(上)」より抜粋  
ひふみともこさんHP http://wa-hifumi.info/       

 

大神神社 狭井神社 三輪山の巫女「真理の御霊」  
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